沿革

「仲セルロイド加工所」から「小野産業株式会社」へ、そして「タクセル株式会社」へ

当社は1924年(大正13年)、創業者・仲晃三郎によって東京葛飾郡寺島町(現在の葛飾区)でセルロイド加工メーカー・「仲セルロイド加工所」としてスタートしました。
徒弟として6年間の修行を経て独立した若干25歳の若者の熱意と、セルロイドという当時の最先端の素材とが合わさることにより、順調に事業拡大します。その後、創業者・晃三郎の急逝により親族が後を継ぎ「小野産業株式会社」と商号を変え第二次世界大戦の終戦を迎えます。

昭和27年、当社はいち早くプラスチック射出成形に取り組みます。
セルロイドはやがてプラスチックに置き換わり、現在では殆ど使われなくなりましたが、プラスチックは今では我々の生活に欠かせないものになっています。

文房具から始まった当社のプラスチック成型生産は、やがて日本経済の発展に従い家電製品、食品容器、自動車部品、医療機器部品の受託生産にレンジを拡大していきます。
そして、創業91年を迎えた2015年10月、高島株式会社(TAK)グループの一員となり、新たな成長の道を歩み始めました。
ここに我々はもう一度どういう存在であるべきかを考えたいと思い、そして新たな思いを込めた社名に変えることを決定しました。
高島グループ(TAK)のビジョンである「誠実一筋」と、創業時にセルロイド(CELLOID)加工に取り組んだチャレンジ精神、そして今後もお客様から安心して仕事を託されるメーカーでありたいという思いを込めて、社名を「TAK-CEL(託せる)」つまり”タクセル”に変更し、プラスチック成型の新たな可能性を探っていきたいと思います。

タクセルの歴史は日本のセルロイド生産史、プラスチック生産史に重なります。
日本におけるセルロイド生産が本格化したのが明治41年(1908年)頃のことです。

そのような時代のもと、仲晃三郎が小野産業の前身である仲セルロイド加工所を設立したのは大正13年(1924年)になります。

大正12年の関東大震災の翌年、当時国内最大手のセルロイドメーカーであった大日本セルロイド株式会社(現:㈱ダイセル)が被災したセルロイド加工業者のために、葛飾に賃貸工場を建設しました。その頃の葛飾は日本のセルロイド生産を大阪と東京が二分していた当時の、東京における集積地でした。それまでに東京・浅草でセルロイド加工業で修行した後に独立した晃三郎は、その大日本セルロイド社が用意した賃貸工場の一棟に入り、これがセルロイド加工業の出発となったのです。

文明開化のひとつであったセルロイド製品ですが、大正時代から昭和の始めにかけてはセルロイド業にも古い徒弟制度、「お店(おたな)」と呼ばれる販売業者が加工業者を率いるなど近代工業前の封建的な雰囲気が残る時代でした。
やがて現在のプラスチックに置き換わることになるセルロイド業は、日本のものつくりが職人技から近代的な大量生産に進化する時代の変化を迎えたまさにそのときに、大きく成長していきます。

この時代に設立されたタクセルは、一貫して日本のものつくりを下支えする成形メーカーとして歴史を重ねていくことになります。

創業期

1924~1944(大正13年~昭和19年)

大正13年に仲晃三郎が25歳でタクセルの前身である仲セルロイド加工所を設立し、タクセルの歴史が始まります。晃三郎が若くして急逝し、晃三郎の甥である小野清一が実質的なリーダーとなった当時、清一は24歳でした。こうして新生・仲セルロイド加工所は新たな歴史を積むことになりますが、この頃(1937年当時)には、日本のセルロイド生産は世界生産の40%を占めるほど隆盛していました。

昭和15年(1940年)に有限会社化した際の従業員は15名でした。戦時下、栃木に疎開し栃木工場(現・箱森工場)を開設したことが現在まで続く、栃木でのものつくりの縁となっています。

年号 会社のあゆみ
1924 仲晃三郎が、東京府葛飾郡寺島町に仲セルロイド加工所を設立
1931 東京の向島区寺島町に東京工場を設立
1933 晃三郎の急逝に伴い、小野清一が共同経営者に就任
1940 有限会社化し、小野清一が取締役社長に就任
1943 仲セルロイド加工所を加え、第一工業株式会社に改組
1944 栃木工場(現在の箱森工場)の稼動開始
1944 葛飾郡上平井町(当時)にて上平井工場の稼動開始

転換期

1945~1962(昭和20年~昭和37年)

戦後、小野産業株式会社として改組し、新たなスタートを切りますが、物資不足や金融引き締めによる不況などにより合理化に迫られるなど、小野産業にとって困難な時期でもありました。

こうした中、小野産業は昭和27年(1952年)に大手文房具メーカーから文房具生産を受注します。これが現在のプラスチック射出成形メーカーへの転換に繋がるきっかけとなります。主力製品が文具品となり、そしてその文房具の材料がセルロイドから徐々に現在のプラスチックに代わっていったからです。

昭和30年代になり、世の中ではセルロイドよりも製品的に安定した現在のプラスチックが徐々に普及し始め、セルロイド製品の代替品としても急速に普及していきます。このことは、セルロイド製造業者にとって変化を迫られ、多数の生産業者が淘汰・事業転換させられる大きな試練となりました。

小野産業は昭和34年(1959年)には長年の取引形態であったセルロイド問屋との取引も終え、今に至るプラスチック成形メーカーへと完全に転進しました。

年号 会社のあゆみ
1945 小野産業株式会社に改組
1946 葛飾区寺島町の曳船に本社社屋を建設
1952 文房具メーカーとの取引を機に、日用品生産から文房具生産に移行
1957 JIS認定工場となる
1961 この頃に、時計メーカー・電機メーカーとの取引開始
1962 埼玉県草加市金明町に草加工場建設、稼動開始

発展期

1963~1996(昭和38年~平成8年)

昭和30年代後半には文具向けから時計や電気製品向けのプラスチック部品生産に徐々にシフトし、北関東に製造拠点を構える電機メーカー事業場との取引によって業績が拡大します。

昭和42年(1967年)に工場を拡張して事業成長の基盤が整うことになりますが、更に昭和50年には栃木所在の大手電機メーカーへの安定供給を目的に、現在の本社である栃木県西方村(現:栃木市西方町)に大型成形機を擁す工場を建設することになります。

この後、1990年代バブル期まで石油ショックの一時期を除き、一貫した成長を遂げていきます。

年号 会社のあゆみ
1971 東京工場の敷地を拡張し、本社ビルを建設
1975 栃木県西方村(当時)に、白物家電向け大型成形専用の工場(西方工場)を建設
1994 西方工場に食品容器専用の新棟が完成し、稼動開始
1995 東京工場の閉鎖
1995 第三者割当を実施し、資本金を1億8646万円とする
1996 株式会社フナトを買収
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